カーネル・サンダース
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カーネル・サンダースは1890年アメリカのインディアナ州で生まれた。
6歳の時に父を亡くし、母が働きに出たため、彼は3歳の弟と赤ん坊の妹
の面倒を見なければならないようになった。そのため料理が非常に
うまくなったという。
15歳の時から電車の車掌、軍人、消防士、保険の外交、船の仕事、タイヤ売り、
ガソリンスタンドなどなど幾つもの職業を転々とするが、40歳の時に
ケンタッキー州のコービンのガソリンスタンドの一角にテーブルを置いて
食堂コーナーを始める。
サンダースの料理の腕のおかげでコーナーは繁盛し、やがてガソリンスタンド
の向かいに142席のレストランを出す。この店は味が良いということで
評判の店となり、州知事からも表彰された。
1950年代の初め、高速道路が作られて車の流れが変わり、コービンの町に
あまり車がやってこないようになってしまい、当時60歳に達していた
サンダースは一旦は店をたたもうと考えるが、妻の勧めでレストランで
一番人気の高かったメニューである「フライドチキン」を車に積んで各地の
レストランを回り、試食をしてもらい、気に入ってもらったら製法を教え、
1本あたり5セントのロイヤリティをもらうというビジネスに乗り出す。
世界初のフランチャイズシステムと言われるこのビジネスは当たり、
約10年間に全米で600のレストランと契約を結ぶことに成功した。
1964年74歳の時、サンダースはこの事業の権利をジョン・ブラウン2世に売却し、
一線を退くが、その後、このケンタッキー・フライドチキンは海外にも進出、
爆発的に店舗を増やす。
サンダースがブラウンに売却した価格は当時の価値で200万ドル、その後2度
の買収を経て1986年ペプシコーラが買収したときの価格が8億4千万ドル
(900億円)であることから、その成長のスケールがうかがえる。
カーネル・サンダースは1980年に白血病のため死去、享年90歳だった。
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